パソコンの不調で日記書けなかったのですが、先週木曜日のお話です。
唐突ですが、小説風?仕立てでお送りします。
いつもの夏休み、いつもと変わらない子供たち。
ラジオ体操、学習教室、プール。
でもいつもと違うのは、今日の夜は花火大会があるということ。
それと、義母が来ているということ。
それと、今日は妻が仕事で、花火が終わった時間にならないと帰れないということ。
最近はすっかり用事がないと来なくなった義母。
去年の今頃は、一月の半分くらいは来ていたかもしれない。
また、その半分くらいは私達が実家に行くことになっていたので、義母は殆どの間、子供たちと一緒だったということになる。
勿論、義母が滅入っている時には、「お義母さんの年代で、子供にそれだけやっている人はいません、とても立派なことだと思います」となだめつつ、基本的には今までの義母の接し方について、「ダメ」出しをし続けてきた訳だ。
といっても、実質的な養育期間は、孫として面倒を見ていた期間が8年、養子として面倒を見ていた期間が2年、そして私たちの家に連れてきてから、2年である。
義母が殆どの期間、子供の面倒を見続けていた訳である。
義母にすれば、普通の祖母なら孫として甘やかすだけでよかった部分だった訳だ。
その楽しみを取り上げられてしまったというだけでも、可愛そうかもしれない。
しかし、それはお互い様。
家族は運命共同体であるから、私だって可哀想。
誰だって可哀想。
私たち家族よりも可哀想といえる人は、いっぱいいる。
その比較をすることは、意味がないこと。
ようするに・・・お互いに可哀想なんて気を使う必要は、ないってこと。
花火大会を友達と見に行きたいと言っていた長男の太郎。
友達のおばあちゃんが一緒に行ってくれるという事になっているというので、行かせることにした。
私も微妙に心配だったし、義母も来るというので、昨日まで返事を延ばしていたのだが、経験出来ることは経験しておいたほうがいいと思った。
そこで、義母に、「太郎は友達と一緒に花火見に行かせますから」と行った。
義母は「あ、そう」といって、小銭入れをいじり始めた。
私は慌てて、小声で言った。
「もし、小遣いわたそうとしているのなら、絶対にやめてくださいね」
「いいじゃないの」といって小銭を数える義母。
私は再度、「ダメです」と言った。
幸いに小遣い貰えるのかもしれないと期待する以前だった太郎に、「いいからおまえはさっさと友達のところに行け」と言った。
「お祭りなんだから小遣いくらいあげてもいいじゃないの」と言う義母。
「いや、お義母さん、この間、実家でも同じように小遣いあげたらしいじゃないですか。その時、太郎は祭りで使うのを我慢して、結局マンガを買ったみたいですが」
「それはそれでいいじゃない、自分のお金なんだから」
「いや、それは、お義母さんのお金であって、太郎のお金じゃないんですよ」
私の話が理解出来ない義母。
私はさらに別の事情からも説明した。
太郎に小遣いを渡すとしたら、花子に渡さないのは不公平である。
花子は今日、友達の家で花火を見せてもらうことになっている。
友達の家といっても、うちの隣の家だ。
行く必要はないし、長女が言い出したことかもしれない。
でも、来ても構わないと言ってくれるのだから、行為に甘えることにしたのだ。
そのためにお弁当を用意して、持って行っているのだ。
花子は使わない小遣いをもらうことになるし、太郎も花子も自分の勝手で義母と一緒に花火を見ないで、友達を選んだ訳である。
そういう選択肢の中で、何故お小遣いを持たせなくてはいけないのか?
さらに、友達の中には小遣い持っていく子供もいるかもしれないが、持って行かせない親も少なくはないはず。
「私はいいのよ、私が花火を観たいから来たんだから、子供にお守りをしてもらう必要はありません」
「いや、そういう意味ではないのです」
そして、私は先日、長女が小遣いの額を超えている買い物をしてきて、叱った話をした。
「結局、そのお金はどこから出てきたのかわかりませんでした。盗ったのかもしれないし、誰かにもらったのかもしれない。単純に以前から持っていた小遣いを私たちがしっかり管理していなかったのかもしれない。今となっては判らないんです。本人はそれを本当に覚えてないのかもしれない。だとしたら、本当にお金を持たせること自体が間違っているということになる。」
「ああ、そういうときは、ちゃんとお小遣い帳をつけさせなくてはいけないのよ」
「いや、お小遣い帳を渡して、買い物をしたら必ずつけるように言ってあったのですが、結局一度もつけてませんでした。ちゃんとつけさせなかったのは申し訳ありませんでした。」
義母は、今まで花子と太郎に月の小遣いを渡していなかった。
せがまれたら、渡すか渡さないかを、全て義母が決めていたのだ。
結果的に子供たちは、池のコイのように「これほしい、あれ買いたい」と言い続けることに。
しかし癖は恐ろしいもので、ひょんなところでつい出てしまうもの。
「あれ買いたい」という欲望の言葉は、「あれ買って」というお願いの言葉、あるいは、「あれ買おう」というお誘いの言葉にはならないのだ。
最近になってようやく、微妙なニュアンスを理解する勉強を始めたのである。
ま、ちょっと話が逸れてしまったが。
いづれにしても義母の既定の概念の中では、「祭りの時には小遣いあげてもいい」となっている訳であり、それの例外を認めることは困難なようだった。
私は子供のころどうだったか?
勿論、小遣いもらって買い食いをしていた。
それに対して「自分がやっていたことを子供にやらせないのはおかしい」と考えるのが、普通だろうか?
普通かもしれないが、私はそれではいけないと思う。
先ず、この子たちは、私の子供ではない。
私はこの子達を守りきることは出来ない。
だから自分の子供だったら、という仮定の下で、判断することはしない。
私はこの子達をただ、「義母が面倒見切れなくなったらから代わりに面倒見ている」訳ではないのだ。
私が面倒を見るからには、私が出来うる最善をつくすつもりだ。
そこで、「祭りに小遣いをわたす」という行為を、削除させていただいたのである。
義母が納得出来たかは不明だが、とりあえず「私に内緒で小遣い渡さないでください」ということに関しては同意していただいた。
次女(実子)の鮎は、金に執着がない。
というより、金の価値観がわかっていない。
「お金は大人が使うもの」と思っているようだ。
「鮎は小遣いいらない。欲しいものは買ってもらうからいいもん」と言った。
買うつもりは、ないのだが。
義母は花火の時間まで、鮎の勉強を見ていた。
私は早めにご飯の支度をして、2人に食べさせた。
とはいっても、今日はうな丼弁当である。
太郎に弁当持たせるの忘れたのが気になるところだが。
私の予想では、太郎は腹が減っても戻ってこない。
可能性として、友達のおばあちゃんの家で何か食べる。
あるいは、何か買って食べさせる。
あるいは、小遣いもっている子は自分で何か買うし、持っていない子は我慢するので、ほうって置かれる、のどれか。
たぶん、放っておかれるような気がした。
ま、いっか!!
義母が土手まで行って花火を見たいというので、鮎が熱っぽかったが少しだけ行って観ることにした。
台風の後だったが、風も少なく・・・・
と思っていたのだが、去年の花火大会と同じ場所に行くと、ちょうど風下で、煙の真っ只中に位置することに。
火の粉が近くに落ちてきた。
「頭の中までジャリジャリするよ!」
義母の機嫌は最悪となってしまった。
「すみません、混んでますがこちらに行きましょう」
私は鮎の手を引き、義母を花火の煙のない所まで誘導した。
その都度立ち止まり、花火を観る義母。
「鮎の具合もよくないから、そろそろ帰りましょう。終わってからだとまた混みますから」
「そうね、そうしましょうか」
メインの露天の多い路まで出てきた。
多くの若者が、夜店に群がっている。
それを見た義母が、先ほどの話をもう一度蒸し返してきた。
「やっぱり、私は納得出来ない。みんな買っているのに、可哀想じゃないの!」
「いや、可哀想じゃありませんよ」
「いや、私はそうは思わない!」
私もちょっと頭にきた。
「いいですか、ここにいる子供たちは、私たちが住んでいる地区にいる全員じゃないんですよ!家で花火を観ている子供もいれば、用事があってみられない子供だっている。それに、みんなと一緒じゃないと可哀想とはなんですか!みんなが悪ければ、一緒に悪い子になるのがいいことなんですか!いい子でいるのは可哀想なんですか!」
黙ってしまった義母。
私もちょっと言いすぎたような気がした。
メイン通りから入ったところの食堂が、出店をやっている。
「このゲソ足と枝豆を買いましょう」と私が言った。
「いいわよ、私が出すから」と義母が言った。
「すみません、ありがとうございます」と私は言った。
家に帰り、枝豆を食べた私は言った。
「しょっぱくて不味いですね、でも、ゲソは美味しいですよ」
義母は言った。
「食べられたもんじゃないね」
・・・・ま、いっか!!
義母が鮎と風呂入っている間に、太郎が戻ってきた。
「おかえり。花火みたか?」
「見た」
「ご飯は?」
「食べてない」
「これ食べな」
太郎は食べながら喋った。
「あのね、○○くんがね、迷子になったよ、それでね、4年生だったら自分で探せっていわれた」
「誰に?花火大会で仕事している人にか?なるほど。それでみつかったのか?」
「みつかった。でもそのまえに、○○君は、太郎に、おまえなんか帰れよ!っていった」
「それで自分が迷子になったのか?」
「そう」
「バカじゃねえのって言ったか?」
「言わなかった」
「なるほど?。みんなご飯は食べなかったのか?」
「△△くんは食べてきた。××君は自分の小遣いで食べ物買って食べた。◎◎くんは何も食べなかった。」
「おまえと一緒ってことだな」
「そう」
「なるほど。腹減ってたか」
「減った」
「それはよかったな。じゃあ、食い終わったら、おねえちゃんを呼んできな、さっさと帰って来いってな」
花子が帰ってきた。
「飯食ってきたか?」
「今お弁当食べてたら太郎が呼びに来て○○ちゃんのおかあさんに残りを食べられた」
「あ?そう、でもそれをいうなら残りを食べてもらったじゃないの?」
「そう」
相変わらず訳わからん。
が、本当にそうかもしれないし?今日の所はそいういことにしておこう。
家には家の癖?があるし、また明日、お礼の電話を妻にしてもらった時にわかることだ。
結局、家族全員で花火を見に行ったことは、未だに一度も、ないというのに・・・
既に、「花火大会」が家族全員のイベントである必要性も薄らいできたようである。
ブログランキングです。
クリックしていただけると、嬉しいです。