2010年から中途養育者サポートネットSiteの暫定的管理者をやっています。

何故、暫定的管理者かといえば、中途養育者支援の問題に関して、私よりも相応しい人がやってもらえたらいいとずっと思ってきたからです。

しかしながら、中途養育者問題は公式(社会的養護)であれ、非公式(ステップファミリー、親族などの自助活動)であれ、実際にそこにいる子どものために養育者を買って出ているにもかかわらず、虐待の加速度的な増加と相まって?加害者としての中途養育者像が重なるためか、常にネガティブな捉えられ方をしてきたせいか、そこそこの注意を引きながらも中途養育者問題に真正面から対峙する人は結局のところ、現状では出てきていないようです。

もちろん、ステップファミリー、社会的養護、若しくはLGBT等に分類した際の研究がされていない訳ではありません。それぞれを「中途養育者」の問題として括った研究がほぼされていないという事です。

中途養育という言葉の先駆けである津崎哲郎氏の著書はこちら

(社会的養護下ではあるものの)こちらも中途からの養育という言葉が出てきています。

ただ、私が「中途養育者」という言い方をなぜするのかという事ですが、これは社会的養護下の公式な代替養育者(のみ)を支援するためではなく、ステップファミリーや親族による非公式な代替養育であれ、子どもにとって実子でない者から養育を受けているという点では同じであり、子どもたちに平等な支援を送るためには非公式な養育者支援は必須だと考えるからです。そこで、公式な養育者支援と非公式な養育者支援の両方を行う必要があると考えるのです。

国連のテキストには非公式の代替養育者にも公式(里親や児童養護施設等の社会的養護)養育者同等の支援を与えねばならないとしていますが、日本という国において、その支援をするのは誰なのでしょうか。

非公式な代替養育者は、本来は代替養育自体が向社会的活動であるにも関わらず、家族構成的な事情も含め、困っているとしても声を挙げ難い部分があります。なぜ本来子育てをする役割にあった家族に替わって養育を肩代わりしているのか(しなくてはならないのか)これは多くの里親や職業的養育者が能動的に選択した行為で養育にあたるのに対して、非公式な養育者は、なんらかの負い目を持っている事が多いのです。(親族が子育てに失敗しているという負い目、子持ちのパートナーと再婚するのは大変だと判っていたはず、など)

それらの大変である事に声を挙げ難い当事者が声を挙げないことによって、支援がされることなく、今日に至っている。

いや、そんなことはない、こういった支援がなされている、という方は是非、コメントに残して頂ければありがたいです。あるいは、こちらからメッセージを送信してください。

ボウルビィがWHOの依頼でこの調査をし、日本で発表されたのが1960年代のようですから、非公式な養育者に関わる支援ということが当事者が声を挙げないために半世紀以上、放置され続けていると言えるのではないでしょうか。

私はこの不公正をなくすため、動くべき、というよりは、非公式な代替養育者に関わる支援を国策として提供できる世の中になってもらいたいと思っています。もちろん当事者が声を挙げることも大事でありますが、声を挙げられない当事者が虐待者となって親子分離されている現状からでも、何かしなくてはいけないと考える支援者が表れても良いのではないかと思うのですが、如何でしょうか。

力なく暫定的管理者をし続けた責任は私にもあります。

しかしながら、この問題に興味を持ちつつも半世紀以上に渡り放置し続けているのは私一人ではないはずです。

「中途養育」という言葉に特許もとっていませんし、自由に使ってください。また、もっと良い言葉でこの問題を伝えられる方は、どんどん使って貰えればいいと思います。(出来れば、教えてほしいです)

※また、寄付も受け付けています。もちろん、一緒になんらかの活動をしてくれるほうが有難いですが、お力添えの方向性は色々あるかと思います。

https://congrant.com/project/cysupport/1099

もしよかったら、中途養育(もしくは類似した課題)について、お話しできれば嬉しく思います。

https://www.facebook.com/groups/639438182874382/