元々自分は幼稚園の頃より欠席数が人より多かったと思う。
その理由として「病欠」という言い訳が通りやすい状況下にあったので、現代の不登校経験者と全く同じ境遇ではなかったかもしれない。[clink url=”https://soundoq.ioh.tokyo/avoidance/sickly/”]
しかし結果的にほぼ学校へ通っていないという点においては同じだと思うし、ここで自分が書いておきたいことは、自分が発達段階における青年期(思春期)の頃、多くの同年代の者が学業や部活など、自分の意志とは無関係に、無駄に時間を費やさざるを得なかった時に「有意義に使える時間が沢山あった」ということである。
私は病気を理由に学校を休み、その時間を自分のために使った。
もちろん「病欠」なので全ての時間を能動的に使えたわけではない。多くの時間は治療に費やされたし、体力を必要とする活動は大いに制限されていた訳である。とはいえ、自分の脳はかなり長時間にわたって自由に使う事は出来たし、それによって仕入れることが可能だった情報は多くの同年代の者たちよりも勝っていたのは事実である。
覚えている範囲では、学校の欠席日数は小学校3年の頃より増えていき、当時は年間30日程度。そこから学年が上がる毎に増えていき、中学時代には120日を超えていたと思う。
そういった状況なので、私の休みについて、周囲が全く問題にしなかった訳ではない。
ご存知の方もいるかもしれないが、当時喘息は別名「わがまま病」と言われていた。いまも言われているのか定かではないが・・・ようするに他人からはその症状が病気なのか演技?なのか、判別しにくいのである。それは現代の発達障がいにも通じる部分があるかもしれない。その辺りの実際についてはまた別のページで書くつもりだが、子供が一人、多くの者と違った状況にあると、周囲の大人は何らかの対策を講じないといけないのでは?と不安になるものだろう。現代においては虐待通告しようか悩む人もいるかもしれない。しかし当時はそういう人は少なかった。その代わり「おせっかい」な人も少なからずいた。そういう時代である。
自分が小学校5年の時、両親は離婚、その後父親若しくはその代替養育者となる者はいなかったので、唯一の養育者である母親には結構迷惑をかけた自覚はある。
その他教師や同級生など学校関係者については、自分は「登校拒否児童」のレッテルの前に、「病弱児」としてのレッテルがあったので、現代の不登校であるような問題意識を自分に対して、それほど考えなくても良かったのではないかと思っているが、もちろん全く考えなかったとは思わないし、さほど仲良くない同級生が家に来たりと、それはおそらく学校側からの指令であったと考えれば、多少なりとも迷惑をかけたという自覚はある。
ただ、それでも学校へ行かなかったという問題については、また別の場所で触れたいと思う。ここでは「不登校」であったことと、音楽の関連を、捉えて貰えるだけで良い。
ようするに音楽を聴くためには時間が必要だということだ。もちろん、音楽に限らず、テレビ、ラジオ、または古典的に本を読むことにも時間が必要であるし、マンガを含め、絵画など2次元的芸術を楽しむためにも時間は必要だ。時間がない人は芸術に触れる事は出来ない。
また、それに伴う物質的な環境も大事だ。
自分が中一の時に、母親は何故か判らないが、4チャンネルのセパレートステレオを購入する。おそらく近所の電気屋に勧められるがままに購入したのだと思われるが、自己中心的に考えれば、不登校だった自分の情緒教育を考えて購入頂いた、と捉えても良いだろう。そのあたりはどちらでも良いし、自分的には当時流行のコンポーネントシステムにしてくれればもっと良かったと思っていた。とはいえ4チャンネルステレオシステムである。現代のサラウンドシステムより音は良かったのだ。ついでに(これもたぶん近所のセールスマンに押し切られてだと思うが)「こどもクラシック全集」のようなものを同時購入していた。
さらに幸運?な事には、自分の実家は商店街にあり、家を出て数秒で行ける同一ブロック内にレコード屋があった事。
積極的にではないにしても、このような環境があった事は他の者よりも恵まれていたと思うので、自分の努力ではない事をとりあえず記しておきたい。
自分が積極的にというか、母親から貰ったお小遣いで購入した最初のレコードはこれだ。
(リンク先の商品は当時のアナログレコードではありませんが・・・)
岩崎宏美『岩崎宏美 ロマンティック・コンサート』MEG-CD
これはたしか、ビクターの4チャンネル方式で録音されたレコードだったと思う。
4チャンネルステレオの規格が御多分に漏れず乱立したのもあって、 4チャンネル(Quadraphonic sound)録音のレコードは当時流行っていたのにも関わらず、対応プレーヤも非常に少なかったのもあり、おそらく全くもって(一部のマニア層以外には)話題にさえならなかったと思う。このレコードはそのステレオを体現したいということで購入・・・した訳ではなく、当時の自分は岩崎宏美のファンだったのだ。
岩崎宏美がデビューしたのが中学1年の4月。「ロマンス」がヒットしたのが7月頃。「センチメンタル」を発表した10月頃には、自分はすっかり不登校状態が定着していた。もちろん岩崎宏美と自分の不登校は全く関係がない。しかし、不登校状態の大きくなる時点で、自分は彼女のファンであって、レコードを聴いていたのは事実だ。当時彼女の歌声には憧れがあったし、このレコードで歌われている「マイ・ラブ」や「やさしく歌って」などは、その後そのオリジナルを聴く際にも、むしろこちらのレコードの方が良いと、今でも思っている。
ポール・マッカートニーはこんな感じ↓
ロバータ・フラックはこんな感じ↓
ちなみに岩崎宏美に関しては「センチメンタル」の次のシングル「ファンタジー」において、何かしっくりこないものを感じたのもあり、ファンとして追いかけることをやめてしまった。
もちろんその後もテレビの歌番組やラジオなどを含め、日本の歌謡曲を聞く機会は多々あった。
しかし、思い入れを持ってレコードを購入し、その後も良いと思ったレコードは、国内盤においてはこれが最初で最後のレコードといってもいいだろう。
自分と音楽との関わりにおいて、不登校時代に重要な意味を持つきっかけとなったのはこちら↓
既に解散状態にあった「サイモン&ガーファンクル」。ポール・サイモンも、アート・ガーファンクルも、お互いにソロとして活動をしていたが、1975年、何故かS&G名義でこの「マイ・リトル・タウン」というシングルが発表されるに至った。
で、自分はこの販促用ブックレットをレコード屋から貰い、このレコード屋店長のセールストークに乗り、サイモン&ガーファンクルを知り、その時点で発表されているレコードをほぼ全て買いあさることになるのだった。
時の流れに(期間生産限定盤)