自分の幼少時代を一言で表せば、先ず一番適切と思われるのは「病弱児」という単語である。

「病弱児」という事について、多くの人は現代の自分の姿から想像出来ないようで、自分が「病弱児」であった事をカミングアウトする際には殆どネタのように失笑をかってしまう。

自分は平均的日本人と比べて身長・体重共に勝っている。ようするに体格が良いのである。遺伝子もそうだが環境的に胸板が厚く見える体格になってしまった。それはいわゆる「はと胸」というやつだ。

その具体的な病名は「ぜんそく」というものだった。

小さいうちは「小児ぜんそく」と言われていたが、小学3年で病院の内科へ受診した時から、名称は「気管支喘息」に変わった。

病弱児であるから、よく学校を休んだ。

よく休むようになったのは小学校3年の頃からだった。それまで地域の小児科を受診していたのだが、このタイミングで薬もいわゆる気管支拡張剤(吸入)が処方された。ブライアン・ジョーンズがプールで溺死した際、傍らにあったとされるものと同様のものだと思う。

また、治療として減感作療法をはじめた。肩に細かい傷をつけてそこにアレルゲンを塗り、乾かす。そんなことを毎週やった。

他にもいくつか薬を飲んでいたが、何が作用したのか、当時自分は肩に妊娠線(と同じような皮膚割れ)が出来ていた。短い期間で巨大化したのだ。ビンのように痩せていたのが、短期間で「どっこい大作」のような体型になってしまった。

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体格が良くなった事に対しても、大抵の場合ポジティブにはみなされないものだ。太っているのは運動不足、食べすぎ、だらしない、さらに治療中であることが判れば「ステロイドの副作用」まで加わる。「体格が良い」という結果が変わる訳ではないし、他人にどう捉えられても構わないのだが、自分がネガティブな表現手法で語られるのは、あまりいい気持ちはしないものだ。

いずれにしても兄弟3人いる中で、病弱の私だけが「通院」という特別待遇を継受されていたのは事実である。当時の楽しみといえば、毎週病院に行く際に買ってもらう「少年ジャンプ」だった。連載されていたのは(順番は前後するかもしれないが)

「トイレット博士」

トイレット博士 第1巻 黄色い天使の巻

「包丁人味平」

包丁人味平 〈1巻〉 包丁試し1

「はだしのゲン」

はだしのゲン 1

「ハレンチ学園」

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などなど。

永井豪の「ハレンチ学園」は当時、お色気ギャグ漫画の是非について社会現象となっていたような気がする。裸が出るのはけしからんという訳だと思う(この辺りは未だにそうなのかもしれないが…現代とは質量ともに全然違っていた)。まあ、最初のうちは単なるコミックというかコメディタッチのお色気ギャグ漫画という感じだったが最後には登場人物全員が殺されるという、とてつもなくシュールな漫画であり、当時、永井豪という漫画家には他の漫画家と違った怖ろしさを感じたのを覚えている。おそらく後の
「デビルマン」や

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「バイオレンスジャック」

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に続くものだったのかもしれない。

当時の自分にとって音楽はそれほど大切なアイテムではなかった。もちろん歌謡曲はそれなりに聞いていた。ただしそれらの流行歌がどの程度自分のマインドに影響を与えていたのかといえば、マジョリティへの参加確認程度であったのかもしれない。


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当時、自分の家では店(バー)の営業をしていて、店にはジュークボックスがあった。夜、子供が寝る時間になってもジュークボックスは鳴り響いていた。その後バーは店じまいするのだが、次にやってくるのはスナックの時代で、ジュークボックスはカラオケに変わる。そのような環境の中で、音楽に対してそれほど良いイメージを持っていなかったとしても仕方がないのかもしれないが、おそらく一般的に音楽にのめり込んでいく以前の段階で、いわゆる当時の日本の「流行歌」を身近な存在にせざるをえなかったのは事実だと思われる。