お金を盗ったこと。
これが解決しないと、次の話に移れない。
しかし、実際にはお金を盗ったことだけが問題なのではなかった。
3年近く、この子たちと暮らしてきて、子育ての空白を埋めるべく慣れないながらも必死で面倒を見てきたつもりである。
このブログの趣旨に反するが、実際私が失業した後に再就職していない最大の理由は、勿論、妻の仕事があったからだが、もう一つの理由としては、この2人の子供たちの面倒を妻一人に見させる訳にはいかないということだった。
もし、実子以外の、ある程度育った子供を育てる機会のなかった人(というかそういう機会のあった人のほうが少ないだろうが)が、素晴らしい信念でそのような子供たちを育てようと決意したのなら、ひとつだけ忠告したい。
あなたの全てを投げ出す覚悟がないなら、やめたほうがいい、と。
私も自分なりには向き合ってきたつもりだった。
しかし、結局はそれでは足りなかった。
元々、信頼を持たず育った子供の信頼を形成するなんて、夢なのだ。
子供は実親から愛情を与えられなかったら、自然に愛情を表現することなど出来ない。
このような子供にとって、愛情は数式と何ら変らない。
暗記するしかないのである。
そうと確信していても、色々なことを試さない訳にもいかない。
しかし、それに偏って生活していると、もっと根本的な、土台が揺らいでくる。
収入だ。
ある程度子供たちを信頼し、仕事面を優先しなくては生活が危うくなっていた時期だ。
去年の末からこのブログの更新頻度が落ちていたのはそれも理由の一つであり、忙しさゆえ、子供たちとの係りにおいて若干の距離が出来ていたのかもしれなかった。
だから、一概に子供を責めるべきではないのかもしれない。
しかし、本当にそれでいいのかどうか。
この子達は、「可愛そうな子」と言われ、「可愛そうな子」として育って来た経緯がある。
「可哀想な子」が何故可哀想な子になるのかと言えば、その健常に生きている他の子供たちと違って、周囲の大人が自らの罪悪感の責任逃れをなすりつけるからである。
「猫可愛がり」あるいは「甘やかし」あるいは「ネグレクト」・・・
しかし実親不在の環境で、躾をしっかりすることを躊躇したことを「育児放棄」として責めることが出来るかどうか。
いずれにしても、育児放棄でないとしても、しっかり愛されなかった子と同様に、しっかり躾られてない子供は、しっかりした大人になる過程で凄まじく苦労をすることになる。
奇麗事だけでは済まされないのだ。
悪癖を「いくら注意してもやめない」のだとしたら、それで諦めるのは大人の逃げだ。
子育てを途中で放棄するのでない限り、社会人としての最低限のルールは、教え込まなくてはいけないのである。
実際にこの事件をいつまでも書いていることが良いことなのか、悪いことなのか。
一つ結論を言えば、その後、子供たちを今まで以上に厳しくすることによって、生活態度は多少改善されたかに見えた。
しかし、実際にはその後もお金を盗ることは繰り返された。
事態の終焉は夢物語。
実際には長い時間を要する問題であり、それは物語としてはとてつもなくうんざりする内容、読んでいて救いのない内容、あるいは、退屈な内容。
私もこの事件を書き続けることにいささか疲れた。
そこで、書き始める前に、決めていた「起承転結」でもって話を締めようと思う。
(といっても多分、今回で終わりにはならないのだが・・・)
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遊ぶことを禁じられた花子と太郎。
正直言って、土日とも家にいて、反省させておくだけではこちらも辛い。
でも、それも自業自得というものかもしれない。
一緒に反省するのも仕方がないか。
2人とも元々、コミュニケーションに難があるので、友達と遊ぶことが出来るということを私はプラスに考えすぎていた。
考えてみれば、虐められる子供は正直者なのだ。
黙って悪い事を一緒にやっていれば、それだけで仲間外れにされないもの。
そんな友達関係をどうするべきか。
これは迷った。
花子に関しては、中1という微妙な年齢、女の子の付き合いという訳判らない部分から、多くは妻に任せるしかないと思った。
太郎に関しては・・・
自分の経験から考えても、小学校5年という年頃は、まだまだアホである。
アホという意味は、まだ救いがあるかも、という意味である。
妻は仲間はずれが怖いので友達には遊べない理由をはっきり言わないほうがいいという考えがあったが、私は決めかねていた。
玄関のチャイムが鳴った。
アホアホ軍団 である。
私は太郎に言った。
「友達が来てるよ」
「遊べないんでしょう?」
「俺が遊んでいいといったか?」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「自分で考えろ」
アホアホ軍団を家で遊ばせることは滅多になくなっていた。
理由は、うるさいからだ。
男なら家でゲームなんかしてないで外で遊んでこいというのも理由の一つ。
結果的に、外で悪い事をしていたということに繋がったかもしれなかった。
だとしたら、太郎に罰を与えただけでは片手落ちなのである。
このアホアホ軍団の存在そのものを、なんとかしなくてはいけない。
しかし、この子たち全員に問題があるのではないことは、ママ友に妻が聞き込んだ範疇で判っていることだ。
金遣いの荒い、あるいは、金回りのいい、軍団の中の特定な2人ほどが問題なのもわかっている。
その2人のママは、日本語が喋れないらしい。
(アメリカンスクールではない、貧民街ともいわないが・・・)
その付き合いをどうするべきなのか、難しい。
うちの太郎は、喋りがとんちんかんで、運動能力も劣っていて妙なことに執着してこだわる、ちょっと変った奴だが、この子達は何故か自然に遊んでくれている。
考えてみれば、この子達も普通ではないような気がする。
3人は母親が日本人ではないし、身体に障害がある子もいる。
別に問題がある訳ではないが。
そういううちも、親の苗字が違う訳だが。
(花子、太郎は私たちの養子縁組ではないから)
両親共に日本人で、父はサラリーマンで、母は専業主夫、なんていう日本によくある普通の家庭がむしろ少ない、雑多な人種が住む工業地帯だからこそ、太郎も花子も虐められもせず、馴染んでいるのかもしれない。
以前の義母が住んでいる地域では祖母が育てているというだけで仲間外れとされていたが、ここではそんな家庭はザラというか、目立たないのだろう。
それでも差別がないとは言わないし、いいのか悪いのかも、難しい判断だが・・・
子供たちは案外と逞しいかもしれない。
玄関の前で話しているんだか、話してないんだか判らないアホアホ軍団と太郎に、妻から言ってもらうようにした。
「あのね、太郎は、家のお金を盗んだから、その罰として、君たちとは遊んではいけないことになったの。穂高さん(私はお父さんとは呼ばれてません)はとても怒っているの。だから君たちは素直に帰るか・・・あるいは君たちで問題を解決しなさい」
これがヒント。
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