昨年9月に出版社時代の日常 及び会社をダメにするバカ社員を書いて、そのまま放置していた「ファンタジー・ワールド」カテゴリ。
「楽天的主夫と生活」とタイトルを改めたのに何故またしてもそれをいぢるか・・・
というか、実際の所は、「ファンタジー・ワールド」カテゴリを、「楽天的主夫と生活」に変えたということなのであり。
何故そんなことをしたのかというと?
「ファンタジー」は、「大人」には判り難いと思って・・・(^^ゞ
ということで、「楽天的主夫と生活」序章、続きの始まりです。
—————————————————————–
イヤならやめろ!
前回、会社を辞めた理由を書いた。
しかし根本的に作用する会社を辞める理由は他にもあった。
私は以前から、靴屋になるつもりだったのである。
話はすこし長くなるが・・・
妻は私の同級生だ。
デザイン学校在籍中から、婦人靴メーカーに就職内定、卒業後、デザイナーとして就職した。
サルヴァトーレ・フェラガモの華麗なる靴
私は、バイトで始めた「街角のサングラス売り」からデザイン学校を中途で辞め、都内各所の露天でサングラスを売って、奔放な生活を送っていた。
サングラス売りが好きだったのではなく、繁華街における自分自身の存在感が好きだった。
虚位だとしても、そこで仕事をするのは楽しかった。
ビジネスの極意は、インドの露天商に学べ!
その後、妻が私の持ち場に尋ねてくるようになって・・・
なりゆきで私たちは結婚することになった。
露天のサングラス売り景気は学校を辞めて3年で終わった。
しっかりとした後ろ盾を欲する妻の両親の期待に応えるべく、
【SALE!!SALE!!SALE!! 30%OFF!!】【Giacometti】ウールシルク1Bジャケット
私は「渋カジ」から
素材が違う!本場イタリア仕込み イタリア高級生地REDA社SUPER100'S使用 秋冬段返り3ツボタンス...
「紳士服のコナカ」へファッションの変貌を遂げた。
主体性のない転職である。
仕事内容は、生命保険の営業職員であった。
とりあえずスーツ来てればいいだろうと思っていた。
今では既に外資系に見売りしてしまった渋谷系生命保険会社。
とりあえず在職中に結婚したが・・・
私は成績的に食えない状況から2年で辞めた。
辞めたその週に買ったB’ing で次の仕事を決めた。
保険に関わる出版者で、すんなり決まった。
これも、つなぎの就職くらいの観念しかなかったのだが・・・
とりあえずその頃は夢もなかった。
勤めて間もない頃、妻に靴作り教室に誘われた。
私はカルチャースクールは好きじゃない。
専門各種スクールガイド(2005年)
何故?
中華料理屋を一人で切り回していた母は、「物は教わって身につけるものではない。盗むものだ」という職人気質を私達子供に教えた。
とにかく、人に教えを乞うことは恥かしいという観念があった。
プライドとでもいうか・・・
ということで、妻の誘いの靴作りカルチャークラブは、最初は乗り気でなかったのだが・・・
会社帰りに外で待ち合わせるのも新鮮だと思って、付き合うことにしたのである。
約2ヶ月ほど通い・・・
自分の最初の1足が出来上がる頃、私は天職を見つけたと思った。
プラダ靴 メンズ 8号
すっかり靴作りにハマっていたのだ。
靴職人を仕事にしたいと思った。
その頃、靴のデザイナーであった妻は就職先から独立していた。
実際の経営状態は芳しい訳ではなかったが、私よりは明らかに、妻の方が業界に精通していた。
妻のコネから靴メーカーの面接を受けた。
「デザイナーになりたいのか」と訊かれ、「違う」と答えた。
私は靴を作る技術を盗みたかった訳なのである。
面接先の常務は言った。
「君みたいな人間は前にもいたよ。結局、辞めていくんだ。そんな人間はいらない」
ある意味、その通りかもしれないが、技術を身につけたい人間が興味を失ってしまう程度の職場だということなのかもしれない。
私は何とかして靴の仕事に潜り込もうと思った。
営業でもいいから、潜り込めばなんとかなると思った。
常務は言った。
「免許は?」
「ないです・・・」
いずれにしろ、私は不採用であった。
それは年齢、経験、給与、等を考慮しての結果であった。
40秒で面接官の心をつかむ法
こんな本、読んどけばよかったか?
その後、歳をとるにつれ、転職のゆとりがなくなっていった。
そして長くいるつもりもなかった出版社に・・・結局10年近く勤めることになってしまったのだった。