光彦が家に連れてきた美佐子という女性は、モデルをやっているというだけあって細身でスタイルは良かったが、姿勢は悪く、声も低く、はっきりと喋ることが苦手なようだった。
人付き合いの上手いタイプではなかったようだ。
光彦の母雅子は、このスナックのホステスをしているという、当時19歳の美佐子が好きにはなれなかったし、その赤ちゃんが可愛そうだとしても、関わりあいになりたくないというのは本音であった。
当時、光彦は最初の離婚をして、子供の親権は嫁側の親族が持っていった。
雅子からすれば、寂しさを紛らわすためにどこの馬の骨ともつかない女と一緒になって、その連れ子の面倒までみなくてはいけないなんて、常識的に異常だと感じたが、自分自身、赤ちゃんに対する興味が全くない訳でもなかった。
世間体的に、どういう説明をしていいのかわからなかった。
美佐子に対しても全く良い印象を感じることが出来なかったが、「赤ちゃんがいる」というたった一つの点において、全てを否定することが出来なかったのだ。
光彦は、「自分の子かもしれない」と言う。
どう考えても、計算があわない。
お互い、結婚している間に作った子だと言い張るのか。
もし仮に、そうだったとしても・・・
その赤ちゃんは、自分と同じ血筋とは思えない。
光彦にも自分にも、全く似ていないのだ。
育ってくれば似てくるのかもしれないが、その時にも似ていないとしたら・・・
そんな観念に頼ること自体、無謀だ。
ただ、光彦から「自分の子だ」と言われ、本当にそうであったとしたら、本当の孫であってくれたら、本当は嬉しい、という気持ち。
これも事実なのだ。
当時、雅子は娘夫婦と同居していた。
娘の洋子は3人兄弟の長女だ。
光彦は末っ子である。
もう一人の弟、長男の義彦は、結婚し、新婚時代は別居したいとの要望で、娘夫婦と同居することにしたのだ。
洋子の夫は、2世代同居が望みだった訳ではないが、それを拒みもしなかった。
洋子は双子を早産で亡くした直後だった。
数時間しか息のなかった子供2人を納骨した直後に、美佐子の赤ちゃんについて意見を求められても、はっきりいえば迷惑以外のなにものでもなかった。
やりきれない思いがある。
それと、もう一つの思いがよぎる。
親が望んでも生きられない子もいれば、何故か生まれてしまったのに、親に捨てられている子供もいる。
美佐子の赤ん坊の面倒を見なければいけないのだとしたら、拒む理由もないような気がしたのだ。
拒むだけの決定的な理由が、思いつかなかったといったほうがいいか。
それは、雅子も洋子も同じだったのかもしれない。
そうして、美佐子の赤ん坊は、家に来たのだ。
つづく
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