米牛肉の輸入再開に早くも照準を合わせて復活を期する吉野家の戦略から目が離せない穂高です。
さて、昔の話をする宣言をしたものの、何から始めるかよく判らない穂高ですが、穂ガス紀元前あたりから始めてみますか。
それは、MTVが幅を利かせ始める前のこと。パンキーとヘビメタとフーテンが仲良く駄弁っても不自然ではなかった古き良き時代だった。
プロレス的に言えば、長州新日離脱の頃の話か?当時アパートにテレビなかったから、私の日常がプロレス的空白期間の時代。
私がデザイン学校在籍時代、バイトとバンド活動に明け暮れていた時代でもあった。
私の通っていた学校は、略称「○デ」。
違う学校が有名だが、原宿にある学校です。
なぜその学校を選んだかといえば、授業料半額の学校だったから。
入学した後、授業も半分だということに気がついた。
ラッキー!と思った奴が、穂ガスメンバーには多かった。
真面目な子達はガッカリしてたようですが。
群馬から上京してきた私は、最初の1年は学生寮で(一見)真面目な生活を送っていた。
可もなく、不可もなくの成績で、2年目になり、アパートを借りてテレビのない日常生活をするようになってからは、真面目にバイトを探していた。
同級生のY子が私に言った。
「私のバイト先の前でサングラス売ってる人からアルバイト探し頼まれたんだけど、やらない?」
ケーキ屋のバイトを逃走してから、新しい仕事を探していた私は、「やるやる!」と単純に承諾した。
バイトの初出勤の前日、アパートの隣の部屋のカンちゃんと朝まで酒を飲んでいた私は、完全に寝坊した。
バイトが消えたか・・・と思って二日酔い状態で学校に行った私に対して、Y子がカンカンに怒っていたのはいうまでもない。
「とにかく、謝ってよ!」
「はい?。」
ということで、学校帰りに、Y子と渋谷まで。
そこには、露天でメガネを磨いている、白パンタロンに白マフラーの、エルビスがいた。(顔はホタテマンだったが)
「おう、なんだ」
「すみません、酒飲んで寝坊しました」
「明日から来れんのか」
「はい」
「じゃあ明日来てくれよ、頼むぞ」
Y子の怒りが、私を救ったというか、ホタテマンエルビスのF氏は寛大な処置を取ってくれた。
「本当に明日はちゃんと行きなさいよ」
「大丈夫だ・・・・」
そのF氏との出会いが、私のデザイナーとして生きるはず?の人生を変えた。
その二日酔いの日から、私は約4年間、「街角のサングラス売り」をすることになったのだった。
それは、チーマーが幅を利かせる以前の渋谷の話。
結構優雅な昼下がりの露天時代だった。
ではまた。