月曜日はスポーツクラブの休館日。
たまには真面目に仕事しないと本当に飯食えなくなる。
私の仕事が何なのか?
それは内緒・・・・
(というか自分でもよくわからないのですが)
やっぱり左肩が痛いので午前中は整骨院に行ってみた。
「お久しぶりです。丸々1ヶ月来ていませんね。本当ならまた初診料かかるんですが、ま、特別サービスしときます」
って・・・「すみません、ありがとうござます」
とりあえず、お礼まで。
肩がテープだらけ。
筋肉増強テープなんだそうだ。
カッコ悪いけど、仕方がない。
ということで、大して日記に書くこともない今日一日。
馬券が外れて悔しい。
(それは昨日書いたか・・・)
昨日の夕方、次女が「もののけ姫見ていい?」と言ってきたので、まあ、いいよと言った。
私が飯の支度をしている時に長男と2人で見ていた。
長男が、「こういうところで住んでみたいんだよね」
というので、「なんで?」というと、
「こういう山とか、森とかで暮らしてみたいんだよね」という。
「ただの田舎じゃねえか」というと、
「そうじゃなくて、こういうところがあるでしょ、こういうところでゴハン作ってもらったり、食べたりしたいんだよね」
ほ?。
「弓矢とか討ってみたいんだよね」
ほ?。
「弓矢が飛んでるな。自分が刺さるかもしれんぞ」
「そうじゃなくて、刺してみたいんだよね、馬に乗って」
ビデオでは馬に乗った兵隊の首が吹っ飛んでいる。
「首が飛んでったな。おまえの首が飛んでくかもしれないんだぞ」
「そうじゃなくて、そういうのがカッコイイと思うんだよね」
「自分が死ぬのがか?それとも、弱い奴を殺すのがか?」
「そうじゃなくて、アシタカになりたいんだよね」
あんまりからかうとまた鬱が出る。
「お?そうか、体鍛えればなれるかもしれんぞ」
「でも、面倒なんだもん」
「とりあえずやってみな、見ててやるから」
長男は以前、像に矢がいっぱい刺さっている絵を描いたということで、義母や義妹が、異常なのではないかと心配していたのを思い出した。
そのときも私は、「自分でも描いていたし、気にすることないんじゃないですか?」とあまり気にもしなかった。
しかし、その後の盗人容疑事件や虐待容疑事件などを考え合わせると、やっぱり真面目に考えておくことだったと思う。
それなりに鬱屈していたかも。
その時は私もお気楽な立場だった。
男の子は、基本的に自分勝手だ。
さらに、残虐だ。
そして、その残虐性はどこから来ているのかというと、「ヒーローに対する憧れ」から来ているんだと思うのだ。
最初、悪者をやっつけるというところから入っていくものだと思うが、子供は誰が悪者だかわからない。
さらに、やっつけるためには自分より弱くなくては、自分がやっつけられてしまう。
そこで、自分を強くするのか、自分より弱い者を探すのか、これが人生の大事な選択だ。
自分より弱い者を探して、悪の退治をはじめたら、その行為自体が悪の行為だということに気付かせてやる必要はない。
正義の味方になるための段取りを作ってやれば、悪の行為を行う必要がなくなるのだ。
悪者の定義、そして強い人間の定義、それだけしてやればいい。
基本的に男の子は単純だ。
男の子に「そういうことはしちゃダメ、優しい気持ちになりなさい」と言っても、元々優しい気持ちが解っていないのだから、馬の耳に念仏。(違った?)
子供がヒーローに憧れた際に、ヒーローへの道を示してやることが大事だと思う。
これを「おまえはトラだ、トラになるのだ」作戦という。
(私は挫折し、大トラになったが・・・)
その後、長男には勿論、ヒンズースクワットをさせました。
「これでアシタカに一歩近づいたかもな」
なんていうだけで大喜び。
基本的にアホですから。
オマケ。
子供と育てていく上で、多少のギミックは必要だ。
時には、私もビンスになる。
悪の権威として、子供を凹ませてやるのだ。
勿論、起き上がってこれる程度に。
そして、後で謝り、仲直りだ!!
(失敗することも多々あるが)
身近な大人がダメ人間であるのはとても勉強になるはず。
これを「悪の減感作療法」という。
(大トラ弁明理論ともいう)
真面目なことを書いてしまった・・・
(そうでもないか!!)