またしても、愛情過多理論の前に・・・です。
さっさと書けと言われそうでしょうか( ̄□ ̄;)!!
まあ、そうなんですけどね。
学会に発表するつもりもないっていうかそんな大したものでもないけど(爆)
ちょっと今日ははなぺさんの日記にコメント書こうと思ったら長くなりすぎて(爆)
それを加筆訂正版として、日記に上げますのでm(__)m
ま、あくまでも、うちの例なので、皆さんもそのつもりで読んでくださいね。
うちの姪と甥、基本的にウソつきです。
宿題やった?と言えば「やった」
こだまでしょうか?
いいえ・・・誰でも(爆)
しつこく訊けば、「これはやった」あるいは「判らないから書いてない」とか、「やらなくていいと(誰かが)いった」とか。
結局うそじゃね~か!とここでツッコミ入れたくなるのが人情といいますか。
でも、ここで「なんのためにそんなに嘘つかなくてはいけないのか?」と考えてみたのです。
この心理、自分が不利になる状況下で、なんとか不利にならない方向を求めているんでしょうね。
必死ですよね、その割には笑える展開というか、まあ頭が幼いので他愛もない嘘になるんでしょうけど。
ようするにつりあいを、心の平穏バランスを取る作業の過程において嘘が必要になるんですよね。
嘘をつきたい訳ではないけど、正直に言えば自分自身の過ちを認めることになる。
言い訳をすることのほうが大事で、言葉尻の真実というか・・・「このような定義においてはそれは正となる」みたいな。
・・・私自身、子どもに「おまえは政治家か!」と怒鳴ったことが過去に何度かあります( ̄□ ̄;)!!
でもなんで認めたくないのでしょうね?
「本当のことを言ったら怒られる」
本当に怒られるからでしょうか?
たぶん、違いますよね。
ここで自分自身が母親に対してうそつきであったことを思い出してみましょう(笑)
多かれ少なかれうそはついたとしても(汗)
たぶん殆どの方は、継子ほどうそついてないはずです。
では他人に対してはどうでしょうか。
継子ほどではないはずです。
何故継子は生きていく上で嘘をつかなくてはいけないのでしょうか。
まあ、これに関しては私もずいぶんと悩まされましたが・・・
おそらくは前回の愛着理論とも関連しますが、うそ自体が子ども達にとって「アタッチメント」なのです。
驚かれず読んで欲しい部分ですが・・・
この子達は何故「うそつき」なのかということの根本にあるのが、養育者が「うそつき」だということがあると思います。
うちの例で話したほうがいっか(^^;)
先ず、実母が子ども達を育てていないのが一番大きなうそつきです。
実父は子どもとの係りを全部自分の親に投げているのでうそつき。
親は面倒見ているといって殆ど面倒見ていないうそつき。
そして、自分たちの誕生に係る部分は隠し事だらけです。
子どもだって養育者が嘘をついていることくらい判ります。
うちの甥と姪は、こうやってウソの基盤を固めていったと思われますよね。
そして、私たちは継子からすれば親代わりをしている、実子と平等に、愛しているように振舞うことが既にうそつきかもしれないのです(^
^;)
ここで、実親側、このサイトにおいては殆どの場合旦那さん、この人は子どもの嘘を叱ることが中々難しいことを理解してみましょう。
何故かといえば、それ以前に自分が大うそつきな訳で、それを子どもに伝承してきた歴史的立ち位置からなのですね。
その嘘って言うのが、キリスト教なんかで結婚の際に言うあれですよね。
「汝は~一生行動を共にすることを誓いますか?」みたいな。
私自身、離婚経験者ではないのですが(汗)
多かれ少なかれ離婚経験者はスティグマというか、負の感情、劣等感のようなものを持っていて、それは無意識的に子どもに与えているんですよね。
ここで仮に「ごめんね」っていえば・・・「ごめんね」って帰ってくると考えたら間違いと言うか(爆)
だってこの部分に関しては子どもは悪くない訳ですから、この時点で子どもから「ごめんね」なんて気持ちが出るとしたら、よっぽどのことですよね。
ここで「ごめんね」といっても何の解決にもならないし、仮にそういう意識を持っていたとしてもそれを与え続けること自体が正解ではないことが判ります。
強いて正解を探すとすれば、「さて、お互い不幸になってしまったな、でもま~とりあえず今後、いいこともあるようにお互いしていこうぜ」って感じでしょうか。(長いか)
ここで子どもと面と向かっていない点に注目して欲しいというか、ようするに同じ方向を向いて進んでいくということが大事だってことですね。
親子で同じ方向を向いて社会に出て行くこと、周囲に係っていくこと。
これがアタッチメント(和訳=愛着)な訳ですね。
その際に手を繋ぐのか、背負うのかとか、そういう肉体的な接触が「愛着」ではありません。
昔よく言われていたと思うのですが・・・「抱きしめてあげてください」みたいなこと。
心の目をそらしながらハグするのは、しないほうがマシっていうか、自分を慰めるためのペットのような感覚で子どもに接する親にとっては慰めになったとして、子どものほうもそうされることによってどのようなトクがあるのかってことですが。
一歩間違えば性的満足を得てしまうかもしれませんし、まあ勿論、それはそれで全く必要でないとも言えないのですが・・・その辺の議論はまたの機会に(;^^A アセアセ
ちなみに、赤毛のアンに出てくるマリラさんもハグしませんし、私も姪と甥はハグしません。
実娘にはしましたよね~可愛いですし(*^
^*)
さすがに最近は反抗的ですが(爆)
話が逸れましたが・・・私はハグに対する劣等感を持つ必要はないと思います。
旦那ざんがハグ(愛)してやれよ、的なことを言う場合、根本的な部分として、旦那さんが愛着を持っていない、愛していない、同じ方向を向いてないですよね。
で、実子に対してそんな扱いをしていることを気づいているいないに係らず、自分がよりアタッチメントを強くしようと言う気がないから、そんなことが言えるんですよね、これは確かでしょう。
だって自分だけで抜け駆けして愛してやればいいじゃないですか、よくおばあちゃんがやるように。
皆さんは継子を愛してやると悩むより、旦那さんにこう言ってやる必要があるのかもしれません。
「あなたの実子でしょう?あんたが愛してやんなさいよ~」
つづきます。
次はきっと、愛情過多理論を書きます(;^_^A アセアセ