複雑な感情の中、花子の面倒を見ていた雅子は、ある時、花子が自分に一番なついていることを悟った。
雅子は、わざと花子をおいて外に出て、花子が自分の姿を追って泣いているのを何度も確かめた。
洋子や彰秀がいても、雅子を追いかけて泣くことも確かめた。
そして、「この子は私がいないとダメなのよ!」と言った。
雅子は、花子を甘やかすようになった。
近所への言い分はとりあえず、「可愛そうな子だから面倒見ない訳にはいかない」ということで充分だった。
近所の奥様達は、可愛そうな花子を見に、入れ替わりでやってきた。
そして、「本当に可哀想にね?!」と言って帰っていった。
洋子達、娘夫婦も、この子の将来に不安を感じつつも、現状でやるべきことは時折私たちも花子の面倒をみてあげることだと感じていた。
実親が不在な状況で育ち、大人になった時点でパパとの血の繋がりがないことを知ったとしたら、普通に考えてもショックを受けることになると思う。
彰秀は、花子をとにかく、気の強い子に育てなければ、この子の将来はないと思っていた。
花子は、彰秀の膝のうえでジャンプするのが好きだった。
赤ちゃんの頃、花子の太ももはジャンプ遊びの影響で、パンパンに太かった。
この遊びは体力的に雅子には無理であった。
洋子や彰秀が花子と遊んでいて、花子が泣いたりした時には、「ハナちゃんどうしたの?はいはいこっちいっらっしゃい」といって雅子は赤ん坊を横取りしていった。
洋子達は、雅子の調子の良い甘やかしは必ず花子のためにならないと思っていた。
彰秀は、「この子を厳しく育てないと、必ずダメな大人になりますよ。」と義母に何度か注意した。
雅子は、「もしかしたら、自分が花子に一番気に入られたくて、嫉妬しているんじゃないの?」と思っていた。
実際には家庭内で殆ど彰秀の影響はなかった。
酒を飲まなければ、雅子に意見は出来なかったし、酒の力で言うことの出来た意見は、蒸発するのも早いのだ。
雅子は彰秀の意見の真意は判らなかったし、彰秀がどれくらい花子と接していたかといえば、休日くらいなものであった訳だし、彰秀が偉そうに言うことに敬意を表したとしても、言われるまでもなく、しっかりと面倒をみているつもりだった。
いずれにしても、花子の面倒を見るだけじゃなく、花子を育てる必要があることは、皆、頭では判っていたのだ。
ある時、花子が廊下で泣いていた。
雅子も洋子も面倒なので、無視していた。
頭にきた彰秀は泣いている花子を叩いた。
そして、一緒に寝かせた後、義母と妻に怒った。
「面倒だから無視するんだったら最初から面倒見るのはやめたほうがマシだ」と。
そういう彰秀は、花子の面倒は気の向いたとき、ちょっと見ている程度で、殆ど何もしていなかった。
実際のパパとママも、同程度だった。
「既定の概念」では、「自分よりもやっていない人間の道理は、やっている人間のエゴよりも、価値が薄い」のだ。
つづく
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