前回の投稿から3週間ほど経過してしまいました。
自己紹介ならぬ自己弁護をすれば、この間非常に体調が悪く、PCに向かってモノを考えながら文章化する、といったある程度想像力を使う作業をすることがかなり苦痛であったためです。(何度かは向かったのですが・・・)
ブログを書くという行為には、ある種の健康状態が必要だと私は思います。
内容は人それぞれで構わないですが、継続して毎日投稿する、言ってみればジョギングのような感覚で継続出来れば、それはそれで幸せなことですよね。
もっとも、ブログを10年続けている人を殆ど知りませんが・・・かくいう私も放置したままのブログは多々ありますので。
と、前置きはこのくらいにして、前回終わったところから書いていきたいと思います。
「何故、自己紹介という手続きを踏むのか」
例えば、Amebaブログのサイドバーウィジェットには必ずといっていいように、「プロフィール」の欄があります。
ここにも「自己紹介」という欄があります。(ちなみに私は現在、何も書き込んでいませんが・・・)
ここでの自己紹介は、ある意味便利です。一度書いておけばサイトに訪れた一人一人に同じ文面を書き込まなくてもいいですし、興味のない人にはわざわざ伝えなくてもすみます。
しかし、この「プロフィール」欄を活用していない方も案外多いのではないでしょうか。
たまに「普通の主婦です」とか、「ただのおじさん(クルマ好き)です」みたいなカキコミをされている方がいらっしゃいます。
何故、「普通の主婦」が、あえて「普通の主婦」宣言をしなくてはいけないのでしょうか?
また、「ただのおじさん」は「(ただの)クルマ好き」ではダメなのでしょうか?
答えは簡単です。
普通の主婦は、自分が持ち合わせている「普通ではない部分に関する情報」をあえて、万人に知らせたくないのです。
また、ただのおじさんは、クルマ好き以外の部分について、あえて触れておきたくないのです。
この2つの事例が正しいと言っている訳ではありません。(もちろん間違ってもいません)
「普通の主婦です」も、「ただのおじさん(クルマ好き)」も立派な自己紹介です。もちろん「ヘンなおじさん(おんな好き)です」でもかまいません。極論、嘘でもなんでもいいんです。
私自身、この投稿の最初の方で、体調が悪かったと書きました。しかしその症状については触れていません。
お気づきかもしれませんが、私はその情報を「故意に」隠した訳です。
この事実を隠したことによって生まれたメリット・デメリットを考えてみましょう。
メリット
・一歩間違えば非常に誤解を受けるネガティブな情報?を伝えないことで、今まで同様に平穏な扱ってもらえる
・診断名を伝えず、(体調が悪い)とだけ伝えることで、想像の範疇で、(相手が体調不良だった際どうだったかの経験で)お見舞いをもらえる
デメリット
・本当にどのような状態なのかを伝えていれば、もしかしたらもっと共感を得られたかもしれないのに、そのチャンスを逃がした。
・自分自身、誤魔化した、正直でなかったなどの微細な心の動きが、劣等感となって残るかもしれない
もっとあるかもしれませんが、とりあえずこんなところで。
さて、ここで最初のお題に戻りますが「何故、自己紹介という手続きを踏むのか」といえば、
「自己紹介によって、他者(相手)との関係性を考えることを可能にするため」
です。
初対面の者(あるいは自己紹介のない者)同士では、相手が何者か判りません。人のように見えても作り物かもしれません。マネキンに「はじめまして!」なんていうとちょっと恥ずかしいかもしれませんね。(マネキンが喋る番組もありましたが)
エイリアンだったら命を落とすかもしれません。全ての自己紹介が命がけだとは思いませんが、自己紹介はそれなりに緊張が伴うものです。
ですから、誰が読むか判らない不特定多数の方が訪れるブログのような媒体では「普通の主婦です」という自己紹介は、ある意味、安全策としてとても有効です。
しかし、自己紹介の文章として、情報が多いとは思えませんよね。
このブログを書いている人がどういう人なのかと思って「プロフィール欄」をわざわざクリックした人は、若干がっかりするかもしれません。
端的に言ってしまえば、「自己紹介はイヤ」な人の例といっても良いでしょう。
(もちろん、自己紹介はイヤなのにブログを書くのは何たるか、なんて思う人もいるかもしれませんが、今回はそこには触れません)
さて、このような特定不可能な万人に向けたブログのようなメディアにおいて、「自己紹介」と、「記事内容」は、ある意味、かなり密接な関連を持ってくるものだということを覚えておいても良いでしょう。
例えば、自己紹介が「現役プロ野球選手(二軍)」と、「ただのおじさん(野球好き)」が、同じ日にその選手の所属するチームの試合について、記事をアップしたとします。
内容単なる試合結果だけだったとして、読者の評価はどのように変るかといえば・・・
おそらく、現役プロ野球選手(二軍)の方が、野球について書かれている記事に、なんらかの共感性ないし、信憑性を感じてしまうのではないでしょうか。
しかし、ただのおじさん(野球好き)は、そのチームの一軍で活躍していたOBで、いまは「ただのおじさん」になっているだけなのかもしれません。(さらに変なオジサン化していることも隠している可能性もあります)
と、つい長くなっていますが、ここで覚えておきたいのは、
「ただのおじさんは、ほぼ何かを隠している可能性がある」
これくらいでしょうか。
(文字大きくする必要はないけど、つい・・・)
先にも書きましたように、「他者(相手)との関係性を考えることを可能にするため」に自己紹介をする訳ですから、自己紹介とは基本的に「戦略的」なものなのです。
さて、いままで公共性の高いソーシャルメディアにおける「自己紹介」について触れましたが、では匿名性の低い場所における自己紹介は、どうでしょうか。
例えば自治会、PTAの新役員として、3分で自己紹介をお願いします!なんていわれた日には・・・
「ただのオジサン」という訳にはいかないような気がしますね。
今回はこのへんで。