前回の日記では不完全な理論で混乱させてしまいまして、申し訳ありませんでした。
この場でなければ、相当反感を買うであろう理論(ここでも買ってたりして・・・)にお付き合いいただきありがとうございます。
愛情過多という部分だけではなく、故意に前養育者を陥れていないか、という点にも批判があって然るべきかとも思いますが・・・その辺も本番の論文になったら直さないといけませんね(本当に論文になるのかは不明)
それとは別に、「集団心理」中間レポートの添削が戻ってきました。

内容を要約してみると・・・

内容はきちんと理解されていますし、かなり鋭い観察に感心しました。
しかしながら、テーマがずれています。
テーマに基づいて論を展開してほしいと思います。
それから、3段落目3行目に変換ミスがあります。環境化→環境下、ですね。見直しは何度も行いましょう。

学修をさらに進めてください。

とりあえず合格だったから良いのですが・・・学修っていうんですね、知らなかった(T^T)クゥー
レポート課題は自分的にはそれなりによく書けていた気もしたのですが、テーマがずれているとは・・・愛情過多理論もまたしかりというか、ずれている気がしています(爆)
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カプセル修正理論
やっぱり「カプセル」という曖昧な概念を一つポンと置いただけだと、その中身は空なので愛情で満たすとか、溢れてるとか、あるいはもう一個、あるいは何個もとか。
そんな風にして人それぞれに概念を広げられますもんね。
完成度の低い理論を何度も発表して申し訳ありませんm(__)m
レポートとしてはD評価かも(爆)
ま、話を元に戻します。
もとをただせば愛情とはいったいなんだろうか?
という定義の部分をまだ書いていません。
愛情=affection
心理学的に情動=emotionなんていうのがありますが、似た意味のようです。
心が動くとか、そんなような?ただし、これにはもれなく憎悪もついてくるというか。
正直言えば、現時点で論じる程判ってないので(;^^A
後で詳しく書くかもしれませんが・・・今回はパスします(爆)
いずれにしても、愛情過多の前にいくつかの定義をしておかなくてはいけませんよね。
カプセル=アタッチメントです。
カプセル一つが一人で、複数のカプセルはありません。
ただし、カプセルの大きさ等は一律ではないですし、形も様々でしょうかね。
一番右の写真は、それが社会的人脈というか、そういうイメージですよね。これもカプセルは一人につき一個です。
それぞれのカプセルが繋がっていて均衡を保っているので、負担にならない訳です。
例えば継子くんが男の子だったとして、そのカプセルの中に継子君を慕う女性のカプセルが複数あったとして・・・
それを全て受け取ったとしても愛情過多にはなりません。
受け取る受け取らないは男の甲斐性(爆)いや、脱線ですね、社会性の形成を一緒に上げたから余計に概念が混ざってしまいましたよね、すみません(;^
^A アセアセ
修正理論を簡単に言えば・・・
愛情はカプセルではなく本人に注がれる→結果カプセル(愛着)が形成される。
で、これが何故愛情過多なのか。
その継子が作り上げているカプセルは、継子を見た人が客観的に下す評価ともいえますよね・・・継子の人格というか、アイデンティティかもしれません。
それを見た人が、これはなんかおかしいよねっていうのか、いや~良い子だねっていうのか、可哀想な子だねっていうのか。
そういうことだと思うのです。
ここで一つ仮定しますが、みなさんの家庭が左の形(通常の夫婦2人が主導の家庭)を目指しているとします。
でも継子ちゃんには実際に自分たち以外の(余計なものというか)愛情カプセルが2つ、ついていますよね。
実母と実養育者(多くの場合姑さんか)のものが同じくらい大きい、あるいは継母さんのカプセルよりも大きかったり、いろいろなパターンがあると思われます。
たぶん、ステップファミリーの夫婦で目指す家庭の形として、実母さんの居た場所に、継母さんに居座ってもらう、交替してもらうということであって、やっぱり左の形だと思います。
ここで旦那さんは以前の結婚で培ったカップルに対する規範概念を形成した経験がありますが、いずれにしても最初から2人で培う、育むというよりは、新妻のカプセルを早く大きくしようと思うはず。
あるいは前妻との関係が上手くいかなかった分、今度こそ上手くという思いから新しい妻(継母さん)にはより高いハードルを強いている可能性もありますね。
ここで一つ双方に想定概念のズレが生じているということがありますね。
そしてさらに、現実に継子が持ち合わせている愛情カプセルには、実母と実養育者だった姑さん・・・のカプセルがあって、実際にはそちらのほうが大きいわけですね。
おそらくは旦那カプセルよりも大きいと思われます。
そんな旦那が左写真の夫婦の規範をせっかちに押し付けてくるとすれば・・・何が起こるのかってことですが。
継子が作った既存の(母性)カプセルの存在を見るな、無いものと思えといっているのと変わらないですよね。
継子ちゃんからすれば以前膨らませたカプセルをなくせと言われているのと同じようなもので・・・そんなの嫌ですよね。
先にも言いましたが、目指す部分は夫婦カプセル状態であって、そこに全てを詰め込みたい訳です。
つまり実際に出来上がったカプセルを忘れろというのですが、継子にそんなこと出来る訳がありません。
で、継子は何をするかといえば・・・継母とのカプセルを新しく作れば問題はない。
写真、真ん中の形で、一人一人のカプセルを形成すれば良い。
前回のコメントでyouさんが書いて頂いたとおりで、カプセルが多いことが悪いことではないです。
むしろ沢山のカプセルがあることで人間は社会的に安定した基盤が形成されるはず。
それでも現実問題として出来上がっている真ん中のカプセルの形を無視して、左側の形態にしようとする現実がある。
とすれば、継子ちゃんは、じゃあ~あってもなくてもいいから新しい愛情を貰えるのなら頂戴!となりますよね。
で、ここからが愛情過多に陥るかの分かれ道だと思います。
継子は、新しい家族のアタッチメント(カプセル)を上手く作れません。
何故上手くいかないのかと言えば、実母、養母のカプセル以外に(母性)を受け取るカプセルが存在しているからです。
それは空っぽではなく、既に実母、養母の愛情が入っています。別々にではなく、微妙に混じっていますし、そこでは最初のカプセルの定義・・・カプセル一つが一人で、複数のカプセルを持たない・・・において矛盾が生じています。
元々、前妻、前養育者、新養育者(継母)のカプセルの一つの(母性カプセル)のように流用しようとしたことによって、愛情過多が形成された訳です。
前にも書いたかもしれませんが、愛情の中には大量の不純物が含まれていて・・・それは憎悪の裏返しだったりもする訳です。
血液型に関わらず、人の血液を混ぜるとショック死する場合がありますよね。
誤解を恐れず言い切ってしまえば、継母は、以前の養育者が使っていた愛着を再利用しろと強要されているのです。
そういう意味では愛情過多に耐えられるだけの基礎体力が必要であると言ってもいいのかも。
またまたまとまりのないままつづきます・・・
※ ついでに右の画像ですが・・・アタッチメントがカプセルだとすると、ついついこういうものがカプセルの中に入るように思ってしまいますよね。
カプセルというアタッチメントを形成した時点で終わりというか、空っぽであろうとなかろうと、それが愛情不足=可哀想ではないのです。
結晶を作るというのはまたちょっと違った理論になってしまいまして。
中身が入っているか、空なのかっていう連想がある意味ガシャポンカプセル理論の限界か。
空っぽという意味ではバブル理論のほうがいいのかもしれません(爆)