「親は無くとも子は育つ」と言う。
では、その逆は?
「子供によって親も成長させられる」
これは既定の概念。
「子供がいても親は育たない」
これは現実世界・・・
現実が「既定の概念」のようにいけばそれに越したことはない。
しかし、親になることは生殖能力があろうとなかろうと、成人であれば殆どOK。
これが現実だ。
「既定の概念」から外れた現実は多数存在している。
『既定の概念を使うことはやめるべきである』
誰もがそういった認識を持っているべきなのだ。
この物語の中心は、おそらくは花子と太郎。
そして登場人物は、花子と太郎の周辺の大人たちが主軸になると思う。
親と、数人の親代わりだ。
私自身も登場する。
そして、私自身も含めて、登場人物の恥(若しくは失敗)をさらけ出すことになるだろう。
何故、このような物語を書こうと思ったのかというと、私自身、以前の日記の中で、花子や太郎に対して、現実的な愚痴を書いていた。
それはフェアじゃないと思っていた。
子供の現状に問題があるとしても、その責任の殆どは子供自身にはない。
遺伝なのか、環境なのかという意味ではない。
子供の行動は、大人の責任だ。
子供の悪口は即ち、親(若しくは親代わり)の悪口なのだ。
では、誰が悪いのか、犯人探しをするということなのか?
そういうことではない。
子供が悪いとすれば、関わった全ての大人が有罪である。
気がつかなかったとしても、それ自体が罪だ。
そういう認識の下に書くので、全員が犯人といってもいいが、それは逆に、全員が犯人ではないのと同じことだ。
ようするに、問題に到るまでの経過を考えることで、現状をよりよくする糸口を見つけることが出来ばそれでいいのだ。
現実をよくするために、仮想現実で戦う・・・
この物語は「マトリックス」ですかい??
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すみません?。
まだ本文、思いついてませんけど・・・